毎月のエッセイを連載しています。どうぞお楽しみください。 香の鋪 花心 presents「古代への扉」 エッセイと写真:にしみどり |
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2023年 1月
惜別
男子(をのこ)名は古日(ふるひ)に恋ふる歌」
訳)この子はまだ幼いのです。あの世への道も知りません。御礼はいたしますから、どうぞあの世からの使いのお方よ、この子をおぶって連れて行ってやって下さい。 古日という男の子が死んでしまったときの長歌につけた反歌で、山上憶良の作とされている。この歌を詠んだとき、憶良は筑前守で七十歳を超えていたと考えられ、そんなに幼い子がいたのかということで、古日が億良自身の子なのか、古日という子を亡くした知人がいて、この歌はその人のために憶良が作った代作かということで説が分かれている。 長歌には古日の様子を「明星(あかほし)の 明くる朝(あした)は 敷栲(しきたへ)の 床の辺(ヘ)去らず 立てれども 居れども ともに戯れ 夕星(ゆふづつ)の 夕(ゆふべ)になれば いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはなさがり さきくさの 中にを寝むと・・・」とある。 長歌の続きには、病気になって日に日に衰える古日を前に「天つ神 仰ぎ祈(こ)ひ祷(の)み 国つ神 伏して額(ぬか)つき」と、天の神々を振り仰いで祈り、地上の神々にはひれ伏して祈る父親の様子が詠まれている。しかし、祈りの甲斐なく「立ち躍(をど)り 足すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子飛ばしつ 世間(よのなか)の道」躍り上がり足ずりして叫び、伏したり仰いだりしては胸を打って嘆き、掌中の我が子の魂をあの世に飛ばしてしまった、と嘆くのだ。憶良は、祈りや努力ではいかんともし難いのが「世間(よのなか)の道」、運命であると思い知ったのである。 ******* 昨年末、香の舗「花心」を一人で経営してきた大内三四子さんが亡くなられました。おそらく大内さん自身、全く予期することもなく突然のことで、「花心」は経営者を失い、閉店することとなりました。お正月早々、私が上記の長短歌をとりあげたのも、そのような理由からでした。 大内さんからの依頼があって、私は2004年4月から「花心」で『古事記』の講座を始め、2006年からはホームページに毎月エッセイを掲載してきましたが、それも今回をもって終了します。「花心」での講座は『古事記』を一通り読んだ後、受講生の方達のご希望があり、『万葉集』を教えて今に到ります。「花心」の講座とエッセイは月に一回でしたから、講座はざっと230回、エッセイはざっと200編書いたことになります。特にエッセイは私の専門とする古代から題材を探すため、最近では新しい材料に事欠いて、四苦八苦でした。ともかく教えること、文章を書くこと、いずれも「花心」が私の出発点でした。 私は四十歳を過ぎてから学士入学で学生に戻り、日本古代史を学び、大学院で修士課程を修了した段階で上代文学の教室に転向しました。その時の恩師が隠退なさるときに引き継いだのがNHKカルチャーの万葉集講座でした。「私は歴史学出身だから」とためらう私に、恩師は「学ぶより教えろ」と励まして下さり、今は『万葉集』のほかに日本古代史をベースにした講座をいくつか続けています。歴史学と文学の二股をかけた私は、どちらからも異端ですが、どちらも学ぶことで、実際に生活し喜怒哀楽があり、時には冗談を言ったりもする人々が歴史を刻んできたことを感じることは、私にとっては喜びであり、楽しいことなので、「花心」以外の講座は続けていく所存です。 「花心」のホームページに掲載されるエッセイを、いったい何人の方に読んでいただいたかは全くわかりません。ですから私からのお別れの言葉もどなたに伝わるのか不明ですが、長年、拙い文章をお読み下さった方がいらっしゃるとすれば、ここに深く御礼申し上げます。おそらく「花心」のホームページも近々閉じられることになるはずです。もし今までのエッセイをお読み下さった方からご意見やご感想をいただける場合は、私個人の下記のアドレスにメールでお寄せ下さい。大変うれしく思います。 新年と共に明るい未来が開けますように、皆様のご多幸を祈ります。さようなら。
文章と写真:にしみどり
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香の舗 花心
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